顔面神経麻痺

みなさんお久しぶりです。

本日は書き残しておきたい事があったので久しぶりにブログを開きました。

 

いきなり本題ですが

私は「顔面神経麻痺」でした。

今日無事に完治する事ができてとても嬉しく思っています。

 

顔面神経麻痺は名前の通り神経が麻痺して顔面が全く動かなくなるという病気で誰にでもなる突発的なものです。私の場合は右半分の顔面が全く動かなくなりました。目が閉じれない、口角を上げられない、口が思い切り開けられない、上手く喋れない、舌の味覚が半分ない、などが私が感じた症状です。治るには早くて1ヶ月、長くて半年、半年で治らなかった場合はそれ以上の回復は見込めないというものです。

 

ある日の朝突然、口が閉じれず歯磨きが上手くできなくなったことから異変を感じはじめます。朝ご飯を食べても味が変だったり、サッカーをしている時も上手く奥行きが掴めなかったり、平衡感覚が少しおかしかったりしました。極め付けはサッカーの集合写真。満面の笑みのはずが全然笑えていないのです。これは変だと思い、すぐに病院に行った結果顔面神経麻痺でした。

このすぐ病院に行ったのが良かった。顔面神経麻痺は発症からどれだけ早くステロイドを打つかによって回復の度合いが変わって来ます。私の場合は早期治療だった為、治すことができました。

 

最初、お医者さんに、「もしかしたら治らないかもしれない」と告げられた時はショックと不安が入り混じって最悪な感情でした。

治らなかった場合は障害を持つ人として生きていかなければならない、今まで正常に動いていた顔が急に動かなくなり一生このままかもしれない、笑顔ができない、人前で笑えない、口いっぱいに食べ物を頬張ることもできない、味を感じる事ができない、目は閉じれなくずっと乾いたまんま、奥行きもうまく掴めない、内定を取り消されたらどうしよう、と考えただけで不安すぎる事がたくさんありました。

 

治療期間中も徐々に治っていく顔を見ながらも、「これ以上回復しなかったらどうしよう」という不安に襲われていました。ネガティブが嫌いな私がすごくネガティブになりました。

 

ネガティブになってても仕方ないと思い、治る治ると自分に言い聞かせながら安静、禁酒、長風呂禁止、運動禁止を守り、無事今に至ります。めっちゃ酒飲みたい、めっちゃサッカーしたい、めっちゃサウナ行きたい。

 

今は本当に顔が動くこと自体に感謝しています。それと同時に四肢があり、体が不自由なく動くというこの当たり前のことに感謝しています。障害者の方には悪いかもしれませんが、私も障害と向き合うあと一歩のところまで行った身としては自分の体が健常に動く事が、普通に生きれる事がとても嬉しく感じます。

 

普通に生きれるのが普通ではないという事を学びました。これからは自分が普通に生きれることに感謝しながら生きていきたいと思っています。

 

自分から言うのも変ですが、快気祝いしましょうみなさん。運動して良い汗流して、しこたま酒飲みたいです。

 

以上。

スターナッツ後編

皆様お久しぶりです。

今回はこの前の続きを書いていきたいと思います。良かったら前編も暇な時に読んでください。

 

 

正直に喧嘩をしましたと告げる。

 

コーチは叱るでも殴るでもなく、俺を笑って褒めてくれた。このご時世良い経験が出来たなと。殴った手が痛すぎて練習に支障が出たのは気合と根性で乗り越えらと言われた。ここで普通の大人ならむしろ俺を怒って練習に参加させなかったのではないかと思う。だがコーチは中学生の私の気持ちをわかって、通るべき道だと理解してくれて笑って褒めてくれたのである。

 

 

あと他に何個か変わった思い出があるのだが、面白いのを選ぼう。

ナッツグラウンドはサッカーコートの周りは森になっている。そのため野生の動物がよく遊びに来る。鹿、猿、キジ、狸、ウサギ、そして厄介者なのがモグラモグラがグラウンドに住み着き無数に穴を開けてしまうのである。これにはコーチも困り果て、夏休みの午前中の練習がモグラの穴埋めだったりモグラ退治だったことがある。野良猫、野良犬もよく遊びに来てはコーチが餌をあげてどっかに去ってってまた遊びに来るみたいな環境だった。夏に出るゲジゲジとムカデにも中2になる頃には慣れていた。

 

 

あとは少し苦い思い出も多々ある。1度練習試合で不甲斐ない負け方をして、コーチに怒られたことがある。会場は末広中学校で本千葉あたりの中学校と試合をした。私達は中1のに対して相手は中3のヤンキー。試合中も殺すぞなどの罵声が飛んでくるようなまともな試合ではなく、萎縮した私達は負けた。コーチはあんな奴らに萎縮してサッカーできなくなるくらいなら辞めちまえと言い、グラウンドまで走って帰ってこいと告げ、私たちの荷物をバスに積みグラウンドに帰ってしまったのである。こうなったら本当に走るしかないのである。千葉から八街まで。中1が。

道中に謎のスポーツドリンクが置いてあり、「ナッツ、飲め」という張り紙だけがしてあってコーチが置いといてくれたのだと皆気付く。試合の後に更に20キロ走らされてグラウンドに到着するとコーチお手製の晩ご飯があってそれを食べてみんなで寝た。いやにしてもめちゃくちゃキツかったな。

 

あと、もう一つキツいと言えば、「走れ」である。これやばい。これはチームの誰かが本当に人としてやってはいけないような事をしてしまった時にコーチが「走れ」と言う。この走れはコーチが「やめ」というまでグラウンドを走り続けなければいけなく、大体4時間は走る。連帯責任を学ぶためとはいえめちゃくちゃ理不尽な制度である。ナッツにはプールもあるのだが、私が試合終わりにアイシングとしてプールに浸かってる時にチームメイトが野良猫をいじめて「走れ」が発令された。私はびしょ濡れの体パンツ一丁裸足でそのまま走り切った。そしてその夜、クラブハウスの風呂の蛇口が壊れているのに犯人が出てこず、「走れ」が発令された。1日に2度の「走れ」は致死量をも超える。結局犯人が自首して「やめ」が発令されて2時間ほどで終わったが、マジであの時は死んだ方がマシとまで思っていた。

 

 

なんやかんやで楽しい思い出も多く、夏休みサッカーばかりで遊びに行けない私達の為に練習内容が川で釣りだったり、プール遠征という名のコーチも一緒にプールに遊びに行く行事だったり、流しそうめんだったり、辛い思い出の分楽しい思い出を思い返す事も多い。

 

良い3年間であった。

スターナッツ前編

 

みなさんどうもお久しぶりです。

めちゃくちゃブログサボってました。でも無理に継続して行くと好きで始めたブログも書くのが嫌になってきそうなので、書きたい時に書くというスタイルをとっていきたいと思います。

 

今回のテーマは「スターナッツ」です。

私の中学のクラブチームのお話です。語りきれない程の思い出が詰まっている。文章構成とか考えるの面倒なので適当に書いていきたいと思います。

結構長くなると思うので前後半に分けていきたいと思います。

 

 

まず、この人なしではこのチームは語れないという人物を紹介します。

f:id:takarameltdown:20200501201711p:image

 

菊池コーチ。見たことある人は分かるかもしれないけどこのケーキの写真のまんま。

キングカズの親友。カズがオフの日にナッツグラウンドにアポなしで来ることは多々あったくらい。カズと一緒にブラジル留学に行った人。あと電話の相手がいつも大物。めちゃくちゃ電話で叱ってるなぁって思ってて、後から誰と電話してたか聞くと北澤とか言い出す。そんな事も多々ある。

もちろんサッカーは死ぬほどうまい。意味わからんくらいうまい。出会ってきた中で一番うまい。たまにフリーマンでゲームに混ざるんだけどビーサンでけちょんけちょんにされる。

片手にいつも竹刀持ってて、やらかすと叩かれる(サッカーのやらかしではなく、人としてのやらかし)。世間で体罰が話題になった時にはクラブハウスにこんなものが貼られた。

f:id:takarameltdown:20200501211543p:image

懐かしい。

 

なぜ私がスターナッツに入ったのか。それは私でもわからない。リベレオとか千葉Sとかにも入れたし、友達はそっちの方が多いのに、なぜか直感で、セレクションもない、なんなら同い年9人しかいないスターナッツに入った。だが私は直感を信じた昔の自分を褒めたい。確実に正解だった。

 

まず、夏休みは家に帰らずクラブハウスに寝泊まりして朝8時から日が暮れるまでサッカーをする。夕方何時とかではなく「日が暮れるまで」である。

面白いのは、みんなパンツ一丁で練習をしている事である。スパイクすら履かない。暑いからね。コーチがパンツ一丁なので、俺たちもパンツ一丁。パンツ一丁にビブスきてゲームをする。ブラジルのようですね。

夏休みの中盤にはスターナッツカーニバルというナッツ主催の小学生サッカー大会が開かれる。参加するチームはバディ、ヴィヴァイオ、ラルクなどとめちゃくちゃ強豪があつまるのである。一応イーグルスと小倉FCも出ています。私が小学生の時はプレイヤーとして参加したし、中学生の時には運営側として参加した。いい経験でした。ちゃんとその時はみんな服を着ます。

 

休みの期間は、練習や試合が終わり、自分たちで昼飯や夜飯を作る。めちゃくちゃいい経験である。

 

学校がある期間は16:10分に学校が終わり、ガンダで家に帰り、16:57千城台発のバスに乗り練習に向かう。もしバスに乗り遅れた場合は自転車で八街まで向かう。

基本的に練習に遅刻は許されない為、居残りなんて言い渡された時には一巻の終わりである。基本的に勉強などで居残りを言い渡された時は、勉強していない自分が悪いという事で竹刀が飛んでくる。

面談とかの仕方のない場合は許される。その辺の区別はしっかりとしてある。

 

 

そんなある時、私は学校で喧嘩をしてしまい、居残りを言い渡されたのである。バレないように帰ろうとしたが無事校門で捕まりお説教である。練習に1時間遅れて合流。コーチに何故遅れたのか問われ、戸惑う私。私は正直に喧嘩をしましたと告げる。ドキドキ。

 

ここで前半は終わりたいと思います。後半はまた明日書きたいと思います。それでは。

 

 

Mr.Children

みなさんは音楽を聴く時なにを重視していますか?

メロディ、歌詞、声などとありますが私が1番重視しているのは歌詞です。そこで私が大好きなMr.Childrenの好きな歌の歌詞のちょっとおもしろい知識を紹介していこうと思います。もう知っている方もいるかもしれませんが、温かい目で見守ってくれると幸いです。

 

一曲目は「彩り」

この歌のサビの部分「僕のした単純作業がこの世界を回り回って〜」という歌詞なのですが、まずこの「彩り」という曲名。ローマ字にすると「irodori」となります。勘の良い方はお気づきかもしれませんがこちら前から読んでも後ろから読んでも「彩り」となります。回り回っても同じ読み方が出来るのとサビの部分がマッチしていてここまで考えているのかと最初に知った時は衝撃でしたね。

あとは1番の歌い出しと2番の歌い出しを合わせると「ただいま」という言葉になってこの曲が収録されているアルバムのタイトルが「HOME」ということもここもマッチしているという。とても良い曲なので是非聴いてみてください。

 

二曲名は「HANABI

この曲はもしかしたらMr.Childrenの中でみなさんが1番知っている曲かもしれませんね。「さよならが迎えに来ることを最初からわかっていたとしたって」というサビがあるのですが、ここで感じられるのは「別れ」ですね。

この「HANABI」なぜ英語のタイトルなのでしょうか。こちらを漢字にすると「花火」ともなりますし「離日」(離れる日)となります。これは無理矢理感があるかもしれませんが、こういう事を考えられるために曲名が英語になっているのかもしれませんね。

 

三曲目は「くるみ」

私は最初この曲をただの食べ物の「胡桃」だと思って聴いていました。その時はあまりこの曲が好きではなかったのですが、こちらのサビ、

希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ

という歌詞なのですが、これがこれから来る未来を表しているのです。

要するに「来未」→「くるみ」という意味なのです。いやーすごい。これを知った途端この曲が大好きになりましたね。

 

まだまだ有名なものだと「フェイク」とか「天頂バス」もすごい面白い歌なのですが、私の変な解説によりMr.Childrenのファンの方々に叩かれるのも怖いのでここらへんで終わりにしておきます。

 

あとはMr.Childrenの曲が聴きやすいのは韻が多く散りばめられているからなのです。意識して聞いてみてください。

それではYouTubeに上がってるライブ動画をまた見てこようと思います。一番好きなライブ動画は淡路島のシーソーゲームのやつです。是非一度見てみてください。めっちゃかっこいいです。ではでは。

 

 

ミスコン

皆様こんばんは。本日は本を読んで就活をして1日が終了しました。ランニングと筋トレしたかったけど雨で気分がのらなかったので明日やります。自分磨きを怠らないように頑張ります。自粛期間こそ自分を見つめ直し自分に磨きをかけれる期間ですよね。少しでも自分のためになる事をしましょう。

 

 

唐突ですが、本日のテーマは「昨年のミスコンを振り返ってみた」です。私の大学生活一大イベントを振り返ってみようと思います。

 

まず始めに出場すると決めたきっかけ。それはバイト先の先輩の影響が大きいです。自分がミスコンに出る一年前に先輩はミスコンに出場していてグランプリを獲得していました。その姿を間近で見ていてとてもカッコよく羨ましかったので自分も来年は出場しようと思いました。

あとは思い出作り、就活くらいの理由ですね。

 

本当に出場するか迷った時期もありました。ミスコンのイメージは他の大学生からしたら馬鹿にする対象になるかもしれないし、負けたら残りの大学生活笑いものにされる、そんな悩みを抱えて居たのですが、逆に自分の人生を長い目で見ても、この時期にしか出来ないことの一つだったし、出て後悔するより出ないで後悔することの方が嫌だなと思いました。

また出場するにあたって、自分の中で必要と感じているものがありました。自信、周りからのサポートです。自信はもともとあるタイプでしたので問題はありませんでした。問題は周りからのサポートです。ミスコンは顔も大切ですが、どれだけ周りの人がサポートしてくれるかという人望もとても大切です。その時の自分は3年生だったので、先輩後輩もたくさんいましたし、信頼できる友達もたくさん居たので周りのサポートの面も問題なしだと思い断固たる決意を持って出場しました。

 

次にミスコンの期間中。ミスコンの期間中はTwitterのアカウントが一人一つ配られます。このTwitterの使い方によって勝敗が決まってきます。自分のコミュニティだけでは限界があるので世間一般の全く知らない方からの支援も必要なのです。私はこのTwitterの更新を一日もサボらないでやろうと思っていました。

体重も出来るだけ減量し、髪型も肌もすべてちゃんとケアして、完璧な自分で居られるようベストを尽くしました。渋谷に自分を売り込みに行ったりツイートを他の人と差別化して工夫したり自分にできることはすべて行いました。

 

そして本番の日を迎えます。本番の日の朝は緊張しすぎてなにも食べれませんでした。大学に着く前に応援に来てくれている友達を見て少し安心し、なんやかんやで緊張はほぐれました。

あとは自分が本番で結果を出すだけ。やるだけやったのだから大丈夫と言い聞かせ本番に向かいます。

 

結果としてはグランプリを頂くことができ、自分のやってきたことが報われた気がして嬉しいと共にほっとした気持ちもありました。

ミスコンを通して本当に周りのサポートには何度も何度も助けられました。おおげさですが自分の歩んできた人生正解ばかりではなかったけど少しは良かったんじゃないかなと思えた瞬間でした。周りの人から支えてもらっている。これをもう一度身をもって再確認することが出来た貴重な経験でした。本当に出てよかった。

少しでも興味がある人は出てみた方が良いと思います。これに関してはもし負けても自分は良い経験だったと、貴重な経験だったと同じように感じれたと思います。

 

祝勝会で美味しいお酒を飲んで無事本番終了です。

 

ミスコンを終わった後もお祝いのメッセージを頂き自分からも感謝の気持ちを伝え自分のミスコンは終了しました。

今では自分の大学生活の中の大切な思い出の一つです。今年は女装コンテストでも出ようかな。嘘です(笑)ではでは。

 

 

友達vol.1

皆さまこんばんは。blog書く暇がなく毎日投稿が途切れてしまうのでは無いか、ここで途切れてしまった方が楽なのでは無いかと葛藤している私でございます。blogが上がる時間がこの答えとなります。

 

今回のテーマは「友達」です。

 

 

昨日は友達とオンライン飲み会をして、今日は友達と公園でサッカーと缶蹴りを全力でやりました。この歳で童心に帰るのは難しいものですがやってみると意外と楽しかったです。ここ最近友達と会ったり話したりする機会が減っている中、たまに友達と会ったり話したりするとその分何倍にも楽しく感じます。いつも楽しい日々をありがとうございます友達の皆さま。

 

ここから本題に入りますが、これは私の勝手な考えなのでその上で読んでください。

私が考えるに人生を豊かにしてくれるのは友達です。お金、綺麗な景色、非日常的な経験、これらも人生を豊かにする要素です。ですが、お金があっても、綺麗な景色を見ても、非日常的な経験をしても、それが全て1人であるならば面白みは半減してしまうと考えています。1人で飲む酒よりも友達と飲む酒の方が美味しいです。1人で焼肉食べるより友達と食う焼き肉の方が何倍も美味しいです。

「どこに行くかではなく、誰と行くか」

「何を食べるかではなく、誰と食べるか」などなどと言いますがそれは本当にその通りです。どんだけくだらない事をしてても何もない場所に行ってもそれが友達とであれば楽しいのです。

 

友達ってどこからが友達なの?って皆さまは考えたことはありますか?私はあります。考えましたが私には答えが出せませんでした。私自身知り合いは多いけど友達は少ないタイプです。知り合いと友達の境界線すらあやふやですが、はっきりこの人は友達と言える人が友達なのでしょう。友達の友達は友達などと言いますが、友達の友達は知り合いです。

 

この歳になってくるとだいたい遊んでくる人も限られてくるのではないでしょうか。ある程度自分と合う人合わない人がなんとなくわかってきて、以前友達だった人も友達ではなくなってしまっている方もいると思います。それでも今でも馬鹿して遊んだり、くだらない事で笑える友達はこの先の人生も友達でいられると思います。友達ではなくなってしまった人とこの先何年かしたらまた友達になれる日も来るかもしれません。

 

友達をなくしてしまう程虚しいことはありません。財布を落とした喪失感よりも友達をなくしてしまった喪失感の方が大きいです。「親しき中にも礼儀あり」これを何度も破ってしまうといくら友達でも亀裂が入ってしまうかもしれません。気をつけましょう(自問自答)。

 

浅い内容になってしまいましたが、最初にも書きましたが、人生を豊かにするのは友達です。この先の人生なによりも友達を大切にして生きていきましょうね。友達については考える事がたくさんあるのでまた書きたいと思っています。直接言うのは恥ずかしいのでこの場を借りて書きますがこんな私と友達で居てくれるみんなありがとう。ではでは。

今日はなんと私の父の誕生日であった。父は自分の誕生日に新車を買い、お下がりの車は私がもらった。父は今日はたくさんお酒を飲みスヤスヤと眠っている。厳しいで有名な私の父。そんな父ついて今回は書いていこうと思う。

 

私の父はおそらく世間一般でいうと厳しい部類に入る父親だ。何度もボコボコにされたし家追い出されたし話す時はもちろん敬語。中学生になるまで世の中の家庭全てが父親には敬語で話しているものだと思っていた。高校生の時に一度だけ喧嘩で歯向かったことがあったが案の定ボコボコにされた。この時に人生ではじめて「父には敵わない」と実感した。

 

そんな父だが、あまり自分の経歴を話したがらない。母との馴れ初めも私はしらない。だが経歴は流石に気になって母や祖母に聞くととてもワイルドな人生を歩んできていることがわかった。中学生の時は地元でヤンキーの頭をしていたらしい。私の小学校の担任ではない先生が父のヤンキー仲間だったらしく先生に会うたびに父の話をよくされた。そして高校に入学。高校を無事卒業後アメリカへ。英語を喋れるようになり帰国。そこから祖父の会社を継ぐために建築学校へ1年通う。そして一級建築士に合格し会社を継いで今に至る。

これ聞いた時はとても驚いた。なんとも凄まじまい行動力である。中学の時点で親からの支援などはなく自分のアルバイト代だけで生きてきたそうだ。すごい。我の父ながらすごい。

 

父の経歴はさておき、私が高校受験の時の話をしよう。高校受験をする際に突然父が「お前が勉強を頑張っている間は俺も禁煙を頑張ろう」と言ったのである。あのヘビースモーカーの父が無理だろうと私は内心思っていたがなんとタバコは今でも吸っていない。父が頑張っているから私も少しは頑張ろうと思えた。普通にいい親父である。

 

ここで最近の話をしよう。私は大学生になってからやっと親に感謝するようになった。今まで不自由なく生きてきた私は今不自由なく育ててくれた親にとても感謝している。サッカーもやらせてくれたし塾にも通わせてくれし大学にも通わせてくれてるし。そんな気持ちもあって毎年母の日、父の日にはギフトを送っている。母は私のギフトを受け取ってくれるのだが、父は受け取ってくれたことがない。大学一年の母の日に母に靴をプレゼントした。母は嬉しそうだったしなぜか父も嬉しそうだった。

翌月の父の日。父に少し良い日本酒を渡しに行った時「俺に使う金があるんだったら友達に酒でも奢ってやれ」と言われこの日本酒は受け取ってくれなかった。普通に良い親父である。

なのでたまにマッサージくらいはするようにしている。こんな事を言われてしまったせいで酔っ払うと人に奢ってしまうという変な癖がついてしまった。受け取ってもらえなかった日本酒の処理には正直困った(笑)

 

頑固そうで意外と理解力があるのが父の少し好きなところである。私が高校を停学になった時、家で死ぬほど怒られるのかと思ったら、むしろ褒められた。このご時世停学なんていい思い出が出来たじゃないかと。そのあと高校一年の頃の担任から相変わらず態度が悪いと三者面談を開かれた時も「お前が先生を尊敬できないのであれば、別に従う必要はないが周りには迷惑をかけるな」と言われた。普通にいい親父である。

 

長々とまとまりの無い文章を書いてしまったが、文章に書き出してみると意外と普通にいい親父である。急に家から追い出したり急に車をくれたりアメとムチの加減がスーパー下手くそなのである。なんやかんやで感謝はしている。父は偉大という言葉は本当にその通りである。明日もマッサージでもしてあげよう。ではでは。