今日はなんと私の父の誕生日であった。父は自分の誕生日に新車を買い、お下がりの車は私がもらった。父は今日はたくさんお酒を飲みスヤスヤと眠っている。厳しいで有名な私の父。そんな父ついて今回は書いていこうと思う。

 

私の父はおそらく世間一般でいうと厳しい部類に入る父親だ。何度もボコボコにされたし家追い出されたし話す時はもちろん敬語。中学生になるまで世の中の家庭全てが父親には敬語で話しているものだと思っていた。高校生の時に一度だけ喧嘩で歯向かったことがあったが案の定ボコボコにされた。この時に人生ではじめて「父には敵わない」と実感した。

 

そんな父だが、あまり自分の経歴を話したがらない。母との馴れ初めも私はしらない。だが経歴は流石に気になって母や祖母に聞くととてもワイルドな人生を歩んできていることがわかった。中学生の時は地元でヤンキーの頭をしていたらしい。私の小学校の担任ではない先生が父のヤンキー仲間だったらしく先生に会うたびに父の話をよくされた。そして高校に入学。高校を無事卒業後アメリカへ。英語を喋れるようになり帰国。そこから祖父の会社を継ぐために建築学校へ1年通う。そして一級建築士に合格し会社を継いで今に至る。

これ聞いた時はとても驚いた。なんとも凄まじまい行動力である。中学の時点で親からの支援などはなく自分のアルバイト代だけで生きてきたそうだ。すごい。我の父ながらすごい。

 

父の経歴はさておき、私が高校受験の時の話をしよう。高校受験をする際に突然父が「お前が勉強を頑張っている間は俺も禁煙を頑張ろう」と言ったのである。あのヘビースモーカーの父が無理だろうと私は内心思っていたがなんとタバコは今でも吸っていない。父が頑張っているから私も少しは頑張ろうと思えた。普通にいい親父である。

 

ここで最近の話をしよう。私は大学生になってからやっと親に感謝するようになった。今まで不自由なく生きてきた私は今不自由なく育ててくれた親にとても感謝している。サッカーもやらせてくれたし塾にも通わせてくれし大学にも通わせてくれてるし。そんな気持ちもあって毎年母の日、父の日にはギフトを送っている。母は私のギフトを受け取ってくれるのだが、父は受け取ってくれたことがない。大学一年の母の日に母に靴をプレゼントした。母は嬉しそうだったしなぜか父も嬉しそうだった。

翌月の父の日。父に少し良い日本酒を渡しに行った時「俺に使う金があるんだったら友達に酒でも奢ってやれ」と言われこの日本酒は受け取ってくれなかった。普通に良い親父である。

なのでたまにマッサージくらいはするようにしている。こんな事を言われてしまったせいで酔っ払うと人に奢ってしまうという変な癖がついてしまった。受け取ってもらえなかった日本酒の処理には正直困った(笑)

 

頑固そうで意外と理解力があるのが父の少し好きなところである。私が高校を停学になった時、家で死ぬほど怒られるのかと思ったら、むしろ褒められた。このご時世停学なんていい思い出が出来たじゃないかと。そのあと高校一年の頃の担任から相変わらず態度が悪いと三者面談を開かれた時も「お前が先生を尊敬できないのであれば、別に従う必要はないが周りには迷惑をかけるな」と言われた。普通にいい親父である。

 

長々とまとまりの無い文章を書いてしまったが、文章に書き出してみると意外と普通にいい親父である。急に家から追い出したり急に車をくれたりアメとムチの加減がスーパー下手くそなのである。なんやかんやで感謝はしている。父は偉大という言葉は本当にその通りである。明日もマッサージでもしてあげよう。ではでは。